首相の靖国参拝とかつての開戦

 8月15日に、小泉首相が靖国神社に参拝しました。今回もまた、毎度おなじみの破綻した「参拝した理由」を言っています。これについては当ブログや長文集で何度も批判してきました(不戦の誓い?小泉首相の「理解」力など)。したがって、ここでは「参拝の口実」についてではなく、この状況での靖国参拝と国益の関わりについて考えてみたいと思います。
 この参拝については、小泉首相の「主」であるアメリカや、「スポンサー」である財界からも、批判の声が日を増すごとに強まるばかりでした。それだけ、中国や韓国の反対および、対日関係の冷え込みが、アメリカの世界戦略や経済界にも悪影響をおよぼしているのでしょう。言い換えれば、それだけ中国の経済的に占める位置が大きくなっているわけです。
 もちろん、日本の侵略戦争を肯定し続けるような宗教施設に首相が特別な感情を持って参拝を繰り返す事は、それ自体が日本の未来のために良くない事です。したがって、中国・韓国の賛否や経済力がどうであろうと参拝すべきではありません。

 とはいえ、今世紀に入ってからの中国の影響力の増大ゆえに、小泉首相と極めて密接な仲であるはずのアメリカ・財界からも批判が高まっている、というのが現実であることは確かです。そのため、タカ派でならしたはずの安倍次期首相候補も、靖国参拝に対して、極めて曖昧な言動をするようになってしまったほどです。
 アメリカ・財界や中韓の反対だけではありません。現在、「東アジア共同体」という流れが強くなっています。これには日米とも様々な思惑があるようですが、いずれにせよ首相の度重なる参拝によって、その構想における日本の立場は良くないものになっています。なにしろ、この共同体構想に入っている国のほとんどは、かつての侵略戦争の被害国です。その侵略戦争を肯定し続ける神社に首相が参拝し続けるわけですから日本が損をするのも必然です。
 このように、損得勘定という観点だけで考えても、首相の靖国参拝は百害あって一利なしです。そのような事をよりによって参拝した時の不評が最も大きくなる敗戦記念日に決行したわけです。
 この、周囲のあらゆる状況が「やれば損する」という情報を提示しているにも関わらず、論理でなく感情により最悪の形でその計画を強行、というのは、60数年前の開戦に通じるものがあります。
 あの時も、客観的な情勢から考えれば、開戦は無謀な選択でした。しかし、当時の為政者はそれらの情報があったにも関わらず、踏み切ってしまったわけです。
 そう考えると、あの参拝は文字通り「歴史に学んでいない」行為です。まあ、その「かつての無謀な選択」をいまだに正当化している神社への参拝に固執し続けているわけです。そのような人が、あの歴史から学ぶなど、どだい無理なのでしょうが。

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