憲法記念日ということで、自民党政治業者や右派商業新聞が、改憲論を打ち上げています。もちろん、以前から変わらず、その主張にあるのは、「アメリカの命令で軍拡を進めてきたが、より進めるために邪魔な9条をなくす」というだけのものです。それによって国民にもたらされるのは、今以上に進む、将来の生活・安全の低下だけです。
それを分かりやすく教えて(?)くれたのが、今日の読売新聞社説でしょう。核心はやはり9条であるとして、北朝鮮の核兵器開発や中国の軍事大国化による日本の安全保障環境の悪化や、イラク情勢など国際社会の不安定化に対し、現在の9条のままでは、万全の対応ができない。日本の国益にそぐわないことは明らかだ。としています。「万全の対応」について具体的な記載がないのですが、文脈から判断するに、中国や北朝鮮に軍事力で対抗するのみならず、アメリカのイラク侵略にもより協力できるほど軍拡しなければならない、という意味のようです。
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国民の安全と「核兵器保有論議」
自民党の閣僚や党幹部が、事あるごとに「核武装論議の必要性」を語っています。その論拠を一言でまとめると「北朝鮮が核実験をし、金正日総書記はいつ核兵器を撃ち込んでくるかわからないほど異常だから、日本も核武装を考えるべきだ」になります。
しかし、核武装をすることは、日本国民の安全に役立つのでしょうか。
仮に北朝鮮が日本に核攻撃を行ったら、アメリカが「報復」という大義名分を得て平壌に核兵器を撃ち込むでしょう。つまるところ、日本が核兵器を持っていようといまいと、北朝鮮にとっては同じ話になるわけです。ましてや、自ら金正日総書記を異常者と決めつけているわけです。異常者でしたら、「相手が核兵器を持っていなければ攻撃し、所持していれば攻撃を控える」などという判断力を期待できないでしょう。
つまり、「北朝鮮核攻撃抑止のための核武装」などと言うものは無意味です。ましてや、この自民党の核武装論者が何度も繰り返している「金正日総書記は異常だから」を援用すると、その無意味さは倍増するわけです。
このように、彼らの「核武装論議が必要」という発言を解釈するだけで、「核武装することの無意味さ」が証明されてしまっているわけです。
首相の靖国参拝とかつての開戦
8月15日に、小泉首相が靖国神社に参拝しました。今回もまた、毎度おなじみの破綻した「参拝した理由」を言っています。これについては当ブログや長文集で何度も批判してきました(不戦の誓い?・小泉首相の「理解」力など)。したがって、ここでは「参拝の口実」についてではなく、この状況での靖国参拝と国益の関わりについて考えてみたいと思います。
この参拝については、小泉首相の「主」であるアメリカや、「スポンサー」である財界からも、批判の声が日を増すごとに強まるばかりでした。それだけ、中国や韓国の反対および、対日関係の冷え込みが、アメリカの世界戦略や経済界にも悪影響をおよぼしているのでしょう。言い換えれば、それだけ中国の経済的に占める位置が大きくなっているわけです。
もちろん、日本の侵略戦争を肯定し続けるような宗教施設に首相が特別な感情を持って参拝を繰り返す事は、それ自体が日本の未来のために良くない事です。したがって、中国・韓国の賛否や経済力がどうであろうと参拝すべきではありません。