月別アーカイブ: 2004年5月

「賞」が落選

 写真家の森住卓さんが。第51回産経児童出版文化賞を辞退したそうです。森住さんの報道姿勢からすれば、当然の事でしょう。
 したがって、森住さんが「辞退」した事には驚きませんでしたが、産経新聞社が森住さんに賞を出していた事にはかなり驚きました。イラクで日本人が拘束された事件の際に、森住さんのルポを漫画化した「汚れた弾丸」について、ヒューマニズムの皮をかぶった反米・反日書であるなどと、右翼団体の張り紙かと見間違うような内容の「書評」を掲載していたからです。
 この書評を書いた人が、ちゃんと5月5日の「産経児童出版文化賞」発表日に、審査委員に対し、「ヒューマニズムの皮をかぶった反米・反日書の著者を選ぶとは」などと批判の論陣(?)を張ったかどうかは興味深いところです。ついでに言えば、今の「米英兵残虐行為」の報道に対しても、「反米・反日報道」などと憤っているのでしょうか。
 基本的に「賞」というものは、発行する側が受賞者を選ぶわけです。しかし、今回の「産経児童出版文化賞」については、森住さんが発行社を「賞」にふさわしくないと「落選」させた、という表現がふさわしいのかな、と思いました。

唯我独尊で謝罪なし?

 週刊文春の車内吊り広告に、イラク誘拐被害者の今井さんの会見を、「唯我独尊」「今井君、どこまでも謝罪なし」などと揶揄した見出しが出ていました。
 この雑誌などが中心となって、政府・警察の情報を垂れ流して行った「人質たたきキャンペーン」は、海外各メディアが呆れて報道したように「日本の恥」をさらしました。しかし、彼らはまだ、そのへんを認識していない(認識していて開き直っている?)ようです。このような報道姿勢こそ「唯我独尊」と言えるのではないでしょうか。
 また、今井さんを「君」づけで呼んでいますが、これは彼が18歳だからなのでしょうか。確かに週刊文春の編集部員は全員、今井さんより年上だと思います。しかし、だからといって、彼をそのように見下して報じる資格などあるのでしょうか。
 そのように今井さんを見下している彼らの仕事と言えば、政治家の娘の離婚問題記事などで大々的に騒ぎ、一介の殺人事件で「被害者が若い女性で全裸で遺棄されていた」というだけでその被害者女性の顔写真を大きく載せるような程度の質の低さです。そんな事より、イラクの現状・自衛隊派兵による現地の日本人観の変化を身をもって伝えた今井さん達のほうが、よはど報道者としては上だと思うのですが。
 ちなみに、週刊文春と言えば、かつて妻を殺された元会社社長の三浦和義さんを犯人であるかのように大々的に報道した実績があります。しかし、三浦さんの無罪が確定した時に会社として出した談話は「我々は三浦さんを犯人として報じたことはない」だったそうです。こういう会社の論じる「謝罪なし」というのはどういう概念なのでしょうね。

新聞社による改憲試案

 ちょっと前の話ですが、3日の憲法記念日に読売新聞社が3度目の自社で作った改憲試案を載せていました。
 一通り目を通して見ましたが、「条文」の中には、現行の憲法そのままか、ちょっと文章の一部を変えたものが意外に多くありました。改憲をするために作った「記事」だというのに、そうなっているという事は、現行憲法がさほど「勤続疲労」していない、という事を意味しているのでしょうか。
 また、「変えた」部分ですが、当然ながら、読者ウケのよさそうな「条文」が目立ちました。たとえば、軍備を持つことは明記していますが、「戦争の放棄」はそのままで、さらに「軍隊に強制参加させられる事はない」と徴兵制を否定している、といった具合です。
 もちろん、この「試案」は「改憲の印象を良くするために掲載した記事」でしかなく、法案でもなんでもありません。これを見て「改憲しても悪い事はないだろうな」などと思っても、実際にそのような国民のリスクの低い憲法になる保障はどこにもありません。
 ところで、この新聞社の社説では、アメリカが戦争を起こすと「重要な日米同盟のためにも、全面協力すべきだ」という感じの「日米安保条約最優先」をもとにした主張をします。にもかかわらず、3日の社説では、なぜか改憲の理由に「アメリカの強い希望」を挙げていませんでした。やはり、アメリカが9条改憲を露骨に言い出す前は「押し付け憲法批判」をしていた手前、主張しにくかったのでしょうか。
 話は戻って、「改憲案」ですが、よく宣伝する「プライバシー権」「環境権」なんかを見ても、「これが憲法に加わったらなにか良くなるか」はピンと来ません。
 だいたい、現在、自衛隊派兵を目指ししている勢力は、自分の年金未納は「プライバシー」を主張するが、自衛隊イラク派兵に都合の悪い行動をした人々に対しては「過去を洗え」と警察やマスコミに指示するような事をします。また、環境を破壊する大型工事や高速道路建設を推進する事はあっても、抑制する事はありません。一方、現行憲法で保障されているはずの「勤労権」や「生存権」を破壊するような政策は次々と行っています。
 そういう人々が主導して「改正」された憲法に「新たな権利」が記載されたとしても、現実の運用レベルで強化されるのは「政治家のプライバシー権」くらいしかないしょう。
 少なくとも、この「大衆受け」を意識した「改憲試案」を読んでも、これが実現しても日常生活で何か良くなる事があるとは、全然思えませんでした。