日本経済の「牽引」のしかた

 しばらく前ですが、経団連会長が法人税率の引き下げを求める際の口実として、「日本経済の牽引車である企業が国際競争力を失っては困る」と主張している、という記事を見ました。財界が自分たちの都合に合わせてデータを取捨選択して「日本の法人税は国際的に高い」と宣伝して税率引き下げを主張するのは毎度の事です。
 というわけで、主張自体には新鮮味は何らありませんでしたが、この自らを「牽引車」と表現した事は非常に面白く感じました。

 確かに、1980年代までの時代では、大企業を中心とした成長に引っ張られて国民全体の生活が向上した事もあったかもしれません。しかし、それはもう過去の話です。
 いくら財界や商業マスコミが「今回の景気回復が国民生活に波及しつつある」と言っても、経営者や大企業正社員の一部を除けばもはやそのような事はありません。これは「いざなぎ越えの経済成長」でありながら、「所得減少」「ワーキングプア」などという現象が生じている事からも明らかです。
 にも関わらず、財界は自分の事を「日本経済の牽引車」とたとえているわけです。では、果たしてその「牽引車」はどのような動きをしているのでしょうか。

 実際の牽引車を安定して効率よく動かすには、大きく分けると三つの方法が考えられます。一つは部品の改良などで性能を上げること、二つめは燃料を増やすこと、三つ目は引っ張る荷物を減らすことです。法人税という負担を減らして「牽引車」の速度・性能を維持する、というのはこの中でいう三番目の「引っ張る荷物を減らす」にあたります。
 確かに、この論法で法人税を減らせば、「日本経済の牽引車」はより速く走ることができるのかもしれません。しかし、その代償は「牽引される日本経済」なわけです。法人税引き下げられれば、それによる歳入減を補うには消費税値上げと福祉切り捨てが行われます。それによって害を被る人は「日本経済の牽引対象」から外されるわけです。
 これをもっと直截的に行うのが「ホワイトカラーエグゼンプション」という名の「恒久的賃下げ」でしょう。要は賃金を減らし、その分を大企業の儲けとするわけです。そうやって、これまで給与所得者の収入となっていた賃金が「日本経済を牽引のため」として財界に移転されるわけです。
 こうやって財界の主張を具体的に分析すればするほど、財界の考える「日本経済の牽引」なるものが、彼らにとって必要最低限の「荷物」のみを牽引し、さらにその荷物は今後も減らし続ける、という発想である事がよく分かります。もちろん、その「減らされる対象の荷物」というのは、ごく一部の富裕層を除く、大多数の日本国民の生活です。
 国民生活は牽引しないで牽引車のみ速度を上げる、というさまはある意味、現在の日本経済をよく表しています。そういう点で、非常に興味深い財界首脳の発言でした。

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