騒音行為を応援する言論機関

 日教組が教研集会をグランドプリンスホテル新高輪で行おうとしたところ、「右翼団体の街宣車が押し寄せてくるから」という理由で、急遽、会場側からキャンセルが入り、全体集会ができない、という事件が発生しました。さらに裁判でも、会場使用の仮処分が出たにも関わらず、それを無視したとのこと。司法より右翼を優先したわけです。
 この類の「教員が集会を開くために会場を借りる」「一度は受け付けたものの、右翼の街宣活動の危険性を理由に会場側からキャンセル」というのは毎年のように発生しています。しかしながら、全体集会が開けなくなったのは初めてとのことです。

 言うまでもない事ですが、街宣車が騒音をまき散らす、というのは社会的に真っ当な行為ではありません。ましてや、それによって、なんら問題ない集会の開催ができなくなる、というのは異常な事です。
 この問題について、多くの新聞は、ホテルの対応ならびに、「右翼の街宣活動によって集会が中止される」という事を問題視して批判していました。ところが、その中で、読売新聞はかなり毛色が変わっていました。
 社説では一応、ホテルを批判しています。しかし、それはあくまでも、仮処分に従わなかった事が対象です。また、右翼の街宣活動が根源だというのに、なぜか「左翼による右派文化人への抗議」を例示して、「言論封殺」を批判しています。
 それに加え、わざわざ別の記事も書いています。そこでは、憲法が結社や言論の自由を保障する以上、右翼団体の活動を禁じることも不可能などと書いてあります。もちろん、右翼団体が存在したり、右翼的言動をする権利は保障されねばなりません。しかし、それと、「街宣車を繰り出して、騒音で自分たちの反する思想を持つ人々や、近隣住民に迷惑をかける」というのは全然別問題です。この論法だと、暴走族も「騒音おばさん」も禁じることは不可能になってしまいます。この程度の憲法理解しかしていない記事を発表する新聞社が改憲試案などを発表しているのですから、呆れるよりありません。
 さらにこの記事では、とにかく「右翼の街宣活動は取り締まれない」という論調に終始。また、右翼の活動を「北朝鮮や北方領土が中心」となんか国民の利益を代表しているかのように書いています。そして、最後にはご丁寧に構成員の談話まで載せていました。

 もちろん、読売新聞は「右翼の活動は北朝鮮や北方領土が中心ではない」事くらい分かっているはずです。なにしろ、自らが街宣車に乗り付けられ、トップの人事までに影響された実績があるのです。
 三年半ほど前に発生した、渡辺オーナー辞任事件がありました。政界・言論界・野球界で巨大な権力を握り、プロ野球改編を行っていた、渡辺読売新聞会長兼球団オーナーがあっさりオーナーを辞任しました。その原因は右翼団体の街宣活動で、しかもその団体へは新聞社内部の人間が情報を流していました。
 そのような直接被害も受けながら、彼らの活動を完全に容認しているわけです。協力しているのか屈服しているのか知りませんが、完全に「ペンは街宣車より弱し」状態です。
 改めて、「騒音などによる暴力がまかり通る」という日本の現状を再認識させられました。さらに、本来、そのような不条理と文章によって戦うべきはずの言論機関が、批判どころか応援まがいの事をしている、という事実をあらためて痛感しました。