原油高を引き起こした「努力」

 「原油高のため、漁船が出漁しても赤字になるだけなので、操業を休んだ」とニュースがありました。これによって、漁業に従事している人々の生活が苦しくなる上に、我々一般市民も、魚が不足して困る事になります。
 そのように、原油高で多くの人々が困っている一方で、それによって儲けている人もいます。
 この原油高の原因は、単なる需要・供給の関係だけではありません。一つには、ヘッジファンドなどの投機マネーによる影響、さらには、イラク戦争が原油高の要因となっているわけです。
 オイルマネー投機が収益活動である事はもちろんですが、イラク戦争もそれを引き起こした人々にとっては収益活動です。いずれも、それによって莫大な収益を得た人がいるわけです。

 ここで重要なのは、原油高によって儲けた人と、困っている人の人数差です。戦争を起こすだの、世界経済に影響を与えるような投機活動が出来る人は限られています。
 一方、漁業に従事する人はそれらで儲けた人の何百倍もいます。その上に、魚不足で困る一般市民が多数いるわけです。
 つまり、現在の原油高は、少数の人が大儲けするために、その何百・何千倍の人が不利益を被っているわけです。ましてや、原因の一つであるイラク戦争に至っては、イラク人を初め、膨大な人々の命まで失われ続けているわけです。
 ならば、「原油高で損をする側」の人間としては、戦争はもちろんですが、そのような投機活動がによって多くの人が困るような事が起きないような世界になったほうが、結果的には多くの人にとって幸福なわけです。

 しかし、「原油高で得する側」の人だと考え方が異なってきます。たとえば、経済雑誌などを見ると、「努力をした者がそれに見合った報酬を受けるのは当然だ。それを、格差社会などと批判するのは、悪平等だ」などといった論調が見受けられます。
 しかし、彼らが行なっている「努力」は、原油高で困っている多くの人々にとっては「やらないほうがいい事」でしかありません。そして、現在の世の中が続けば、さらなる「多くの人に迷惑をかけながら自分だけが儲けるための努力」がなされる事でしょう。
 一方で世の中には、金にはならないけれど、多くの人にとって益になるような努力をしている人もたくさんいます。しかしながら、そのような努力をする人が物質的に苦しんでいても、経済雑誌などで「努力しているのに報われないのはおかしい」と書かれる事はありません。
 今回の原油高によって発生した問題で、改めて新自由主義的な「努力した人が多大の報酬を受けるのは当然だ」が二重の意味で間違っていることを実感させられました。