民主政治に適わない政治業者とそれを讃え続ける報道業者

 石原東京都知事が、表現規制に条例に関連して、反対意見を述べた漫画家などを「バカ」呼ばわりしました。自分の政策が全て正しく、反対者は「バカ」とするのは、民主政治を行う者として不適切であるとしか言いようがありません。
 氏はこれまでも、さまざまな層・文化・思想の対し暴言や差別発言を繰り返しています。
 ところが、これらの発言に対し、マスコミは「批判があった」とは報じますが、それがいかに事実でもなく、品位もない発言であるかについて論じることはありません。
 一方で、先日の尖閣問題のように、東アジアの国と問題が発生すると、商業マスコミは競って氏の談話を取り、持論である「感情的な東アジア蔑視論」を掲載します。
 そして、氏に定期的に寄稿させたり、「石原語録」なるコーナーを常設し、氏の発言を無批判に掲載している新聞が少なからず存在します。

 その一方、石原知事が自らの海外出張に1億5千万円を使った事を明らかにした、議会での質問などは、全ての商業マスコミが無視しました。
 普通の公務員が「税金の無駄遣い」をすると、派手に叩くくせに、これだけ有名な「公務員」が大々的な税金の無駄を行ってもベタ記事にすらしないわけです。
 彼をはじめ、かつての小泉首相や、現在の橋下大阪知事など、商業マスコミが持ち上げる政治業者には共通点があります。それは、弱者やアジア諸国に対しては派手な言動で攻撃する一方で、財界主導の政策は忠実に実行する、という事です。
 財界およびそれを構成する企業からの広告が重要な収入源となっている報道業者としては、彼らを持ち上げた記事を書くことが、自社の利益につながる、という構造なのでしょう。

 新聞協会のサイトに載っている倫理綱領には、
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
などと書かれています。
 しかしながら、少なくとも現在の報道業者は、「それにもっともふさわしい担い手」とはほど遠い存在であると言わざるを得ません。