「復興」で儲けようとする人々

 財界が、震災で被害にあった東北に「復興案」としていくつかの主張をしています。その核となるものとして、「ただ震災前の状態に復旧させるのでは意味がない。以前より発展した物を創り上げるべきだ」という考えがあります。そして、「この国難をむしろ日本復活の足がかりに」などと主張する論調すらあります。
 一見すると、かなり前向きな考え方のように思えます。しかし、この主張では、極めて重要な事が無視されています。
 それを象徴するのが「復興案の目玉」の一つとなっている「漁業の集約および企業参入」というものがあります。確かに、それが実現すれば、これまでより大規模な漁港と漁船により、大規模漁業が行われ、多額の収益が生み出されるでしょう。見た目は、「震災前より発展した」となります。

 しかし、そこで産み出される多額の収益は、これまでその地で漁業をやっていた人の犠牲が前提としています。つまり、震災でこれまでの生活を失われた人は助けずに、彼らが得てい収入を大企業がかき集める、というのが彼らにとっての「震災前より発展」する事の意味なのです。
 もちろん、これは漁業に限った事ではありません。
 今回の震災で、世界各国より様々な形で、日本への支援が寄せられました。そのように外国の人々が被災者の方々を助けようとしている一方で、日本の財界およびその意を受けた政治業者・マスコミは、被災者をより悲惨な状況にすることによって金儲けをする算段をしています。それが彼らにとっての「震災前より発展する」なのです。
 いわゆる「失われた20年」の間、大企業はひたすら人件費や下請けへの委託費などといった「コスト」を削減して利益を増やしてきました。言い換えると、大企業の利益の原資は、働く人や取引先の不利益であり、損をする人が増えれば増えるほど、利益が増大する、という構図だったわけです。そして、それをそのまま「震災復興」にも持ち込もうとしているのです。
 悲惨かつ防ぎようのない天災ですら、彼らにとっては「これでまた弱者が増える。したがって今は彼らを絞りとって利益を得る絶好機」というものでしかないのです。あらためて、ここ20年くらい続いている日本経済の異常さを再認識させられました。