大阪ペットボトル水に見る「正確かつ公正な報道」

 大阪市が水道水を「ほんまや」というブランドでペットボトルに詰めて販売していたそうです。それを、橋下市長が廃止をする、と発言しました。
 Googleニュースで検索すると、その発言を、朝毎読の大新聞および産経新聞・テレビ朝日・日刊スポーツがサイトに掲載しています
 そして、その際に橋下市長が言った「税金でそんな商売をやる必要は全くない。民業圧迫だ」・ほんまやのPRには平松邦夫前市長の「政治的な意図が強い事業だった」とも言及、と特に論評・検証をせずに、発言をそのまま掲載しています。
 新聞・テレビが報じることが正しいと思っている人がこれを読めば、「前市長が個人宣伝のために行なっていた、税金を無駄にする事業を英断で終了させた」と思い、現市長の「改革」を高く評価したことでしょう。

 しかし、それから数日後、橋下市長は記者会見で、「事実誤認があった」と釈明した。という報道がありました。
 それによると、「ほんまや」には税金は使われておらず、事業が始まったのも前市長が就任するより前だった、という事が判明した、とのことでした。
 ところが、これを書いている時点で、それをサイトに載せているのは日刊スポーツのみです。
 という事は、朝毎読など一般紙の読者や、テレビ朝日でそのニュースを見た人は、その「ほんまや」は前市長のPRのために税金を無駄にして行った、という誤った情報を現時点でも信じ続けている可能性が高いわけです。

 あれだけマスコミが持ち上げ続けている政治家が、事実と異なる情報を根拠に判断をくだして発表し、それを記事にしたわけです。ならば、その誤りが明らかになった以上、その情報を伝えるのは当然の義務ではないでしょうか。言い換えれば、それを行わない新聞社・TV局は、読者・視聴者に誤った情報を持ち続けさせようとしている、としか言いようがありません。
 加えて言うと、これにより、最初の記者会見の時に、各社がその真偽について「裏を取る」事を一切していなかった事も明らかになっています。つまり、記者たちは、それが事実であるかどうかを調べもせずに虚偽発表を記事にして多くの人に読ませたわけです。

 日本新聞協会に掲載されている新聞倫理綱領には新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。と書いてあります。一連の「報道」および「誤りであったという会見を報道しなかったこと」は、この「綱領」に完全に違反しています。
 まさか、「この報道を左右したのは、記者個人の立場や信条でなく、新聞社の立場や信条だからかまわない」という解釈なのでしょうか。

 今回の件により、大手新聞は、間違った発言を調べもせずに大きく報道し、さらに間違いが判明してもその訂正報道をしない、という、他人に情報を伝える際の基本すら守れていない、という事が改めて明らかになりました。
 同時に、ご大層な「新聞倫理綱領」などは、中身のない掛け声でしかなく、各新聞社およびその報道内容に「倫理」などというものは欠片もない、という事も改めてよく分かりました。