何に支配されるなら問題ない?

 読売の会長氏が、ニッポン放送株問題についてテレビ、ラジオといった社会の恒久なメディア媒体をマネーゲームで排除される、支配されることはあってはならないと述べたと、スポーツ報知の一面トップで報じられていました(※なお、他のスポーツ2紙は「高級なメディア」と記載していました。こちらのほうが、意味は通りやすい感じです)。
 要は、「政財界に頭を下げないようなポット出での成り上がりなんぞに支配されてたまるか」という意味なのでしょう。それはともかく、この発言を見ていると、「マネーゲーム」でないものになら、支配されても問題がないのだろうか、と思えてきます。

 読売新聞をはじめ、多くの大手情報産業は、自民党政府や財界と密接な関係があります。この発言をした読売の会長も、先日辞任したNHKの前会長も、政治記者時代から自民党の特定勢力と密接な関係を持ち、それを利用して頂点に登りつめたほどです。
 そのため、必然的に基本的な論調は、それらの勢力の利益を意識したものとなります。その結果、「日米同盟は絶対視すべきもの」であり、アメリカの軍事戦略は常に正しく、国内では大企業の利益を維持する経済政策が正しいものとなります。その一方、一般国民は、増税や社会保障のサービス低下および負担増を容認すべき、となるわけです。
 この権力と情報産業の密着については、よく言われるように、「政・財・官」にマスコミが加わった「鉄の四角形」といった感じです。しかしながら、その結果が先ほど書いたような「自民党政府・財界の立場に立った論調」になっているわけです。その結果、天皇制政府の支配を受けていた「大本営発表」の時代の報道に着実に近づきつつあるわけです。

 昔のマスコミには、「いかなる権力にも支配されない」みたいな建前がありました。それをあの発言は、「マネーゲームで支配される事があってはならない」と「敵」を否定する形式を取りながら、「現在の商業マスコミを『支配』している勢力の存在」について自ら明示したわけです。今更とはいえ、思わぬ所で「本音」が聞けました。
 それにしても、系列スポーツ紙とはいえ、この「お言葉」を有難く一面トップにするというのもすごい感覚です。「高級」だか「恒久」だかわかりませんが、その程度のものならば、マネーゲームに支配されようとされまいと、さほど変わらないと思うのですが・・・。