「ジャーナリズム」の自己過信

 毎日新聞に載ったライブドア社長氏の「ジャーナリズム論」が、既存の情報産業から批判されています。普段はかなり論調が違う東京新聞と、読売新聞の社説が、ほとんど同じ論調で批判している事からも、彼らが根源的なところで、あの発言を嫌っている事がわかります。
 基本的には、ライブドアの社長氏は好きではありません。しかし、その好き嫌いとは別に、この発言およびその反応には興味深いものがあります。

 読売の社説では権力を監視し、社会の不正を暴き、公正な世論を形成する。(中略)官庁や企業の発表、発生した事件を垂れ流すだけでは、ジャーナリズムとは言えない。などと言っています。東京新聞の社説も、毎日新聞での質問者も、似たような事を言っていました。
 もちろん、自分たちの所属している業界がこれまで行ってきた事を肯定したい気持ちは分かります。とはいえ、ちょっと自分たちの能力や仕事を過大評価しすぎていませんでしょうか。
 確かに、彼らは情報の収集ならびに発信の専門家として、豊富な経験を積んでいます。しかし、その得た情報を取捨選択する事についてはどうなのでしょうか。
 たとえば、上記社説で自分たちの実績(?)として、「権力の監視」「社会の不正」「公正な世論を形成」を挙げています。では、その「権力『監視』の対象範囲」「『不正』だの『公正』といった定義はどのように行われるのでしょうか。
 言うまでもない事ですが、各情報産業の社員に、絶対神のような善悪を判断する能力があるわけではありません。ではその判断基準が何になるかと言うと、結局は「社の儲けになるかどうか」です。(その構造的な問題による報道の「偏向」については、当ブログの長文集・「マスコミ」という情報産業についてでふれているので、よろしければご参照ください。)
 いずれにせよ、ライブドア社長氏のマスコミ批判に対し、「俗」だの「金儲け」だのと批判できるほどの立派なことを、現在の情報産業が行っていない事は確かです。
 特に、「公正な世論を形成」などどこをどう勘違いしたら言えるのでしょうか。この前のプロ野球選手会スト問題の時に、自社の社説がどれほど「公正な世論の形成」に貢献したか、一度じっくり考えてみてほしいものです。

「ジャーナリズム」の自己過信」への1件のフィードバック

  1. ■ライブドア騒動 今度はホワイトナイト(白馬の騎士)のお出ましだ。

    3月26日 朝日 貸株――会社の価値は上がるのか
     よくまあ、こんなに知恵が出るものだ。ポイズンピル、TOB(公開買い付け)、LBO(レバレッジド・バイアウ…

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