思考停止をうながそうとする「殺し文句」

 自民党政府の政策を宣伝するために商業マスコミが行う「報道」において、しばしば「殺し文句」が作られます。13年前の「非自民政権誕生」の時の「改革派・守旧派(現在でいうところの抵抗勢力)」あたりが特に効果がありました。この当時、「守旧派は地方分権に反対する」と書いておけば、「地方分権」が進むとどのような層が喜んでどのような層が困るのか、などといった考察をしなくても「地方分権の推進=善」という定義づけが成立しました。
 この「改革」という言葉は相変わらず、「この称号がつけば善」になってしまう殺し文句であり続けています。その名のもとに「毎年300億円もの税金を政治業者にばらまく」だの「一部の富裕層はより豊かになる一方で、貧困層は人数も貧しさの度合いも拡大させる」事だのが進められました。それを商業マスコミは「改革」という名前がついているから、という理由で応援しているわけです。

 そして最近、「人口減」もしくは「少子化」という、「改革」に次ぐ新たな「殺し文句」がマスコミで多用されつつあります。ずっとささやかれ続けてはいましたが、特に予想より2年早く人口減となったため、より使いやすくなったようです。
 読売新聞は、正月早々、人口減だから消費税増税という社説を掲載しました。どんな事があっても「消費税増税」を主張している社説が、新たな「口実」を手に入れた、というところでしょうか。
 また、日経新聞の特集記事では、「北海道のある町が、少子化のため、これまで積雪10cmで除雪していたのを、15cmになるまで除雪しなくなった」という文がありました。自治体が雪かき代すらままならなくなっている、という事の原因の一つに、「過疎化による税収減」もあるとは思います。とはいえ、それだけで雪かきの基準が変わったわけではないでしょう。地方交付税の「改革」など、「地方切り捨て」の政策の影響など、他にも要因はいくらでもあります。それを「少子化」の一言で片付けてしまおうとしているわけです。

 「改革」とつければ、その政策は国民にとって益となるなどという事はありません。同様に、「人口減」「少子化」の時代だからと書けば、どんな事でも「人口減」「少子化」だから容認せねばならない、という事もありません。
 このような「殺し文句」を使われている時は、その印象的な言葉の勢いを利用して、自民党政府の政策などを強引に正当化しようとする作業が行われているのでは、と疑ってかかったほうがいいと思っています。