全国紙が書く「国民」の意味

 今回の消費税増税法案採決にあたり、全国五紙は、連日のように「三党合意を実施しないのは許されない。そのような事をしたら、国民の政治不信はますます広がるだろう」などと社説で増税勢力の後押しをしていました。
 ここで一つ疑問が生じます。それは、これらの社説でいうところの「国民」とは一体誰なのか、という事です。
 筆者も「国民」の一人ですが、もし三党合意などが廃棄されたとしても、喜ぶことはあっても、政治に不信感や怒りなど一切感じなかったでしょう。何しろ、消費税が上がると生活的に困ります。そのような合意、自分にとっては百害あって一利なしなわけです。ぜひとも潰れてくれと日々願っていたものでした。
 別にこれは私一人だけの考えではないでしょう。実際、そのような社説を載せ続けた全国紙の「世論調査」でも、消費税増税反対は過半数を占めています。

 ちなみに、それらの「世論調査」の設問には、必ずといっていいほど「持続可能な社会保障のために消費税増税を賛成しますか」などと、「消費税増税が社会保障の向上に役立つ」事を前提に書かれています。
 しかしながら、過去の実績から考えると、消費税の導入や増税が社会保障に役立った例など一つもありません。
 つまり、この設問は、虚偽を前提として、「国民の過半数は消費税増税に賛成」という結果を出す事を目的としたものなのです。
 にもかかわらず、過半数が増税に反対と、国民の過半数は回答したわけです。
 当然ながら、そのような消費税増税に反対する人は、三党合意が反故になろうと、増税が否決される事を望んでいたと考えるのが普通でしょう。つまり、社説に出てくる「国民」は自分の会社が行った「世論調査」の多数派ではないわけです。

 では、社説に出てくる「国民」とはいったい誰の事なのでしょうか。実は、その答えは、全国紙の紙面をよく読むと分かる仕掛けになっています。
 たとえば、8月8日の毎日新聞の社説には、とりわけ、国民の目を意識してほしいのは自民党だ。民主党に度重なる譲歩を強い、合意に至りながら「衆院解散を確約しなければ合意破棄」とエスカレートした対応はあまりに唐突だった。などと書いてあります。
 そして、同じ日の日経新聞では、米倉経団連会長が談話を寄せています。そこには、衆院解散の確約を求めている自民党には「不可解だ。党利党略の立場を捨てて国のために貢献してほしい」と注文を付けた。と書かれています。
 もちろん、他の部分についても、経団連会長をはじめとする財界要人は、五大紙の社説と全く同じ事を主張しています。
 このように並べると、かなり明解になると思います。つまり、全国紙の社説などに出てくる「国民」とは、基本的に「財界」と同じ意味なのです。
 仮に、日本国民の99%が反対するような法案でも、それが経団連会長を初めとする財界が賛成すれば、「国民はその法案の成立を望んでいる」と書くでしょう。

 現在の日本国民の99%と、財界・経団連に代表される1%の富裕層の利害関係は相反しています。
 たとえば、新聞の経済欄における大企業の業績発表を見ると、よく「人件費などのコスト削減が功を奏し、営業利益が前期より増えた」などと書かれています。
 営業利益が増えたというのは経営者にとっては功績です。それにより、役員報酬も増えるでしょう。また、株主に対する配当も増えるでしょう。
 その報酬や配当の原資となるのは、解雇された派遣・非正規労働者および、減給された正社員が失った収入なわけです。
 別にこれは一時的な現象ではありません。今世紀に入ってからずっと労働者の賃金は減り続けています。「先進国」というグループに入っている国で、このような現象が起きているのは日本だけです。
 その一方で、企業は利益を溜め込み、「金余り」という現象すら起きています。そして、一部の経営者は多額の報酬を得ています。たとえば、昨年赤字を出し、リストラ計画を出したソニーの会長だったストリンガー氏の年俸は8億円を越えていました。
 氏は今季限りで退任となりましたが、もちろん、その報酬を返却する事などありません。その一方で、彼の経営能力の低さによって生じた赤字は、「リストラ」「コスト削減」の名のもとで、非正規を初めとする労働者が職を失うことによって補填されるのです。

 繰り返しになりますが、解雇や労働条件切り下げの危機の常にさらされている労働者および、財界の推進する消費税増税によって生活が苦しくなる自営業者と、財界を初めとする富裕層の利害は180度異なります。
 そして、新聞は、その富裕層の意見だけを「国民の目」などと称して社説に載せるわけです。
 社説というのは、その新聞社が会社として出している見解です。したがいまして、他の記事も、その見解を前提に書かれます。
 そうやって考えていくと、社説を初めとする新聞の主張や「解説」がどの層の利害を代表しているのかが明白になっていきます。
 その事に気づかず、新聞社が自分たちの味方だと勘違いすると大変な事になります。にも関わらず、このような主張を真に受けてしまい、全然豊かでもないのに、財界人と同じ視点で政治や経済を論じる人は少なくありません。そのような論調に賛成したり、彼らの勧める投票行動を取ることは、自分の首を自分の首で締める以外の何物でもないのですが・・・。
 いずれにせよ、新聞社が社説などで「国民」という言葉を使った時は、上記の社説と経団連会長の談話の対比を思い出す必要があります。そして、「また新聞社が財界の広報を始めた」とだけ思っておけばいいわけです。繰り返しになりますが、そこで彼らの言う「国民」が自分たちを含むなどという勘違いをしては、これまで以上の損失をしてしまうことになるでしょう。

 なお、本稿は特に露骨に消費税増税を推進した全国五大紙を題材としました。とはいえ、それ以外の新聞が本質的に違うというわけではありません。
 たとえば、反原発報道を熱心にやっていると言われる東京新聞は、8月11日に、一見すると消費税増税を批判しているような社説を書いています。
 ところがこれをよく読むと、本格的な少子高齢化を迎え、社会保障を持続可能な制度に抜本改革する必要はある。国の借金が一千兆円に上る財政事情への危機感は国民も共有しているだろう。いずれ増税が避けられないとの覚悟も多くの国民にあるに違いない。などと、勝手に「『国民』は将来の消費税増税を容認している」と結論づけています。
 さらに、国民は選択していない消費税増税を、民主党政権が政府や国会の無駄を削ることなく、社会保障改革の全体像を示すことなく強行したことに怒りを感じているのだ。などと書いています。
 世の中には、私のように、無条件で消費税増税には反対だし、ましてや「政府の無駄を削る」などと言って行政サービスを低下されたり、削減だらけの「社会保障改革の全体像」などを示されたら余計困る、という「国民」もいるわけです。しかしながら、この新聞社は「みんなの党」などが主張する「行政のリストラをせずに行う消費税増税は反対」という主張を勝手に「国民の怒り」などと定義づけています。
 そして政治家の要件としてマニフェストに嘘(うそ)はないか、官僚の言いなりになりそうか否か、政党や候補の力量も見極めたい。などと書いています。つまり、この新聞社にとって「財界のいいなりになりそうか否か」は見極める必要がない、と言っているわけです。
 一見、消費税増税を痛烈に批判しているようですが、実際は「今回は手続き的に問題があった。もっと整然と消費税増税をすべきだ」と言っているだけの社説でしかありませ。
 もちろん、露骨に「国民=財界」として、財界の広報を続けた全国紙に比べれば少しはマシとは言えるかもしれません。しかし、勝手に「国民」を定義し、財界が絶対に困らないような結論を導こうとする事には変わりはありません。
 そのような本質を改めて伝えてくれた、という意味では「いい社説」だと思いました。