なぜ「公務員は多すぎる」のか

 様々な所で「公務員は多すぎる。人員も賃金ももっと減らせ」という論調が流れています。新聞やテレビなどの商業マスコミは自社の主張としてそれを流し、同時にそのような主張をする政財界人の発言を報じ続けています。
 最近になって特に目立ちますが、このような主張は30年以上前から続けられてきました。それらの報道を見続けていると、公務員というものはよほど人が余っているのだろう、と思ってしまうでしょう。
 ところが不思議な事に、筆者の身近にいる公務員は皆忙しく働いています。日曜出勤はザラとか、多忙期には連日終電を逃すという国家公務員もいました。また、所定の夏休みなど消化できず、正月も二日から出勤、という地方公務員もいました。
 ちなみに、筆者の住む県において職員の有給取得率は10.4日で取得率は26.7%というデータがあります。本当に公務員は無駄が多くて過剰なら、有給取得率は100%になるはずです。
 さらに、報道される事はまずありませんが、公務員の過労死や過重労働問題も発生しています。

 にも関わらず、なぜあのような「公務員過剰論」が流れるのでしょうか。その原因を推測できる個人的経験があります。
 実は、筆者自身は役所の窓口に行くのも年に一度あるかないか、という感じです。一応、生活に不自由しない経済状況で健康にも問題もないからです。つまり、公務員のお世話にならないでも済む立場なのです。
 しかし一方で、知り合いには先天的な障がい者がいます。彼に関しては、本人も両親も何度も公的機関の世話になっています。住む所を決めるのも、まず、その自治体の福祉状況がどうなっているかを調べることから始まる、という感じです。もし公務員が提供するサービスが削減されたら、彼は生きることにより苦労する事になります。
 最初に書いたように、「公務員過剰論」を飽きもせず流すのは商業マスコミです。そして、その原動力となるのは政財界人の発言です。
 政財界人はもちろん、商業マスコミ記者も一般の平均よりははるかに高い収入を得ています。何かあれば高価な医療サービスも受けられます。そして、このままいけば、老後も豊富な年金で暮らすことができます。
 つまり、現時点での筆者以上に、彼らには公務員によるサービスに頼らなくても特に困らないのです。そのため、実情がどうであろうと、「公務員は多すぎる」と主張できるわけです。
 このことは、彼らの行う公務員攻撃の内容にも現れています。昔からよく見る「公務員批判」として「必ず定時に退勤する」「窓口や電話でたらい回しにされる」「年度末になると予算消化に走る」などがあります。
 しかしながら、定時退社は労働基準法32条で定められた、働く人として当然の権利です。また、「たらい回し」や「期末の予算消化」なども別に公務員に限った事ではありません。ある程度大きい私企業なら、普通に見られることです。
 実際の働きぶりに接する機会がないからこそ、このような言いがかりで「公務員批判」をするわけです。

 商業マスコミおよび保守政治業者・財界人がたきつける「公務員たたき」に一般の企業労働者が乗ってくれる事は、たきつける側にとっては思う壺になります。
 以前にも書いていますが、私企業で働く人などの不満が公務員に向かう事は分断支配を進める上で極めて都合がいい事です。また、公務員給与の削減を煽る事は、その分断支配に加え、私企業でのさらなる賃下げにもつながるため、特に財界にとっては一石二鳥とも言える、有難いキャンペーンになります。
 公務員過剰論による削減キャンペーンも同様です。公共サービスを削れば、それだけ税金が浮き、それを法人税減税や企業への補助金など、彼らの利益になる事に使えるわけです。それによって公共サービスが低下し、弱者は困るわけですが、裕福な彼らにとってそのような事は知ったことではありません。
 今年に入っても、何度か自宅で餓死した人がニュースになりますが、それについては「役所の体制に不備があった可能性がある」などと、他人事みたいに報じます。その一方で、よりそのような悲劇を生む事になる「公務員削減」を声高に叫んでいるわけです。
 多くの私企業労働者や自営業者などは、仕事が減少や失業、さらには健康を害するなどの理由で、いつ公務員が担っているサービスを受ける事になるか分かりません。そして、そのようなリスクは以前より大幅に増えています。
 そのような立場にある人々が、そのリスクを持たないマスコミ・政財界の煽りに乗って「公務員は余っている。減らせ!」などと同調するのは、自分で自分の首を締めるのに等しい行為なのでは、と思っています。