自分たちへの「愛」を強要する法案

 教育基本法改悪案を自民党が出し、民主党も本質的に変わらない「対案」を出しています。いずれにせよ、結局のところ、彼らの目指しているのは、現在、自分たちが構成している自民党政府の維持・発展に適した形で子供達を「教育」できる体制作りです。そして、その象徴と言えるのが、「我が国と郷土を愛する」すなわち「愛国心教育」なわけです。
 一連の「愛国心」に関連して、少なからぬ自民党政治業者が「教育勅語の再評価」みたいな事を言っています。最初の頃は、「戦前の愛国心とは違う」みたいな事も言っていましたが、最近はそれすら言わなくなりました。
 戦前教育の成果である「愛国心」で「愛」の対象となった「国」というのは、一般の日本人たちでも、日本の自然環境・生活環境などではありませんでした。「愛」の対象は絶対的存在である天皇であり、同時に、その天皇の下で権力を得ていた天皇制政府の面々でもありました。その結果、「天皇陛下のため」に戦地で殺し・殺されていった「愛国者」たちの屍の上で、政治業者たちは権力を守り、それと一体化していた旧財閥なども利益を挙げたわけです。
 そして、そのような時代を懐かしむ政治業者たちによって、「愛国心教育」が復活させられようとしているわけです。

 繰り返しになりますが、彼らの復活させようとしている「愛国心教育」における「愛」の対象は、かつてと同じく、自民党政府や財界などの権力者でしかありません。「大企業が空前の利益を挙げてる一方で、生活水準の下がった労働者が増えているのは、国全体の事を考えるとおかしい」などと考えるのは、自民党政府の求める「国を愛する態度・心」ではありません。彼らの求める愛国心は「自分たちが支配しているこの国家体制を愛する(=国家体制に従う)心」です。
 その事は、首相があれだけ不評を買いながらも、十五年戦争を初めとする日本の侵略を正当化している神社に参拝し、「今の国があるのも、先の大戦で死んだ人のおかげだ」といい続けている事からもわかります。なぜならば、この発言は「国家の安寧のためには、『お国のために死んで靖国に祀られる人』が必要だ」と言っているのと同じ意味だからです。

 いずれにせよ、「自分たちを愛する(=従う)」ように教育をさせるように法律を変えようとする、というのはかなり厚かましい話です。これが、個人と個人の関係だったらどうでしょうか。相手の意図に関わらず、自分への「愛」を求め続けると、ストーカー防止法の規制対象となります。そして、60年以上前に、「愛」を強制させられた人々も、現代のストーカー被害者と同様に多大な被害を受けました。
 にも関わらず、自分たち権力者を「愛する心」を「教育」しようとする人々の勢いは増すばかりです。このままでは再び、「愛国心教育被害者」が大量に発生してしまいます。

 なお、愛国心なるものの本質については、長文集の戦前の「愛国心」は現在に通用するのかおよび「愛国心」と「公徳心」に書いてあります。興味がありましたら、ご一読いただければ幸いです。
 また、自民党および民主党の改悪案の本質について、gakuさんの「Internet Zone::Movable TypeでBlog生活」に、非常にわかりやすい解説が載っています。